お元気ですか?
寒い冬を乗り越える前にひとときのやすらぎを与えてくれるはずの「10月」は、今年に限って言えばまさに「最悪」でした!
雲一つない爽やかな秋晴れの日は数える程度…。
気温が低い日も多く、ダメ押しとばかりに2週連続で台風がやってきました…。
でも過ぎたことは仕方がないっ!
少しずつ冬支度に取り掛かりながら、残りわずか2ヶ月となった2017年をどう過ごしていくかに気持ちを向けていきたいと思います!
父が指折り数えて楽しみにしていた孫の学童野球最後のビッグイベント「県大会(夏季)」。
父が脳梗塞で倒れたのはその4日前の7月18日のことでした…。
朝、実家から連絡が入り、独協医大病院に駆け付けると、意識が朦朧とした父の姿がありました。
運悪く、太い血管が詰まってしまったのです…。
後遺症はかなり酷く、左半身が全く動かないどころか、言語障害、意識障害、記憶障害などが残り、今は駒生にあるリハビリセンターで「言語」、「理学」、「作業」の3つのリハビリを毎日こなしています。
間もなく発症から4ヶ月が経とうとしていますが、症状は一進一退といったところです。
口から食事を摂ることが出来ないので、栄養補給は点滴のみ。
日に日に痩せていく父の姿を目の当たりにするのは正直辛いものがあります。
リハビリの成果は十分ではなく、口から食事を摂ることは今後難しいということで「胃ろう」の手術を受け、直接「胃」に管を通して栄養を摂る方法を選びました。
再び独協に移り、胃ろうの手術を受けるための検査をすると医師から「高い確率で胃がんの疑いがある」との診断…。
まさに「泣きっ面にハチ」とはこのこと。
私自身、「これでお父さんも終わりなのか…」、そんな思いが一瞬頭をよぎりました。
2週間後、詳しい検査の結果が出て、奇跡的に「陰性」ということだったので、一筋の光が見え、ホッと胸を撫でおろしましたが、父は今もリハビリセンターのベッドで寝たきりの状態で過ごしています。
(胃ろうの手術は来週に決まりました)
父を知る人や昔からこのブログを読んで下さっている方はご存知だと思いますが、
2004年の春、梯子から落下し、4m下のアスファルトに叩きつけられ、脊髄損傷により下半身不随の体になってしまい、以後「車イス生活」を余儀なくされました。
その一瞬の出来事でその後の父の人生は大きく変わってしまったです。
入院中、自分の体が不自由になってしまったことに悲観し、「命を絶とうと思ったことは一度や二度ではなかったけど、家族のことを考えるとそれはどうしても出来なかった…」としばらく経ってから話してくれました。
不自由な体になっても決して引きこもることなく、障害者仕様の車を購入し、積極的に外に出掛ける父を私は誇りに思いました。
健常者が走るだけでもクタクタになる2つの大きな坂が待ち構える鹿沼インター通りを2本の腕だけで車イスを漕ぎ続け、往復することを日課にしました。
(ジム通いしている今の私でも1日やればギブアップするようなタフな道のりです)
不自由ながらも、実家の母や兄夫婦のサポートで、どうにか10年以上やってこれました。
でも、今の父の体は、両足はもちろん、左手までも動かなくなり、動くのは右手だけになってしまい、自力で車イスに乗ることさえも出来なくなってしまったのです。
下半身不随になった時、「こんな体になるほど、俺のお父さんはなんか悪いことでもしたのかよっ!」と神様を恨んだあの日を思い出し、ベッドに横たわる父を見つめながらその思いは再び蘇り、更に強いものとなりました。
仕事前、週2回のペースで父に会いに行っています。
父が自分から話すことはありませんが、話しかければなんとか聞き取れる言葉で答えくれます。
リハビリも兼ねて、いろいろな事を話しかけます。
発症した後の記憶はすぐに消えてしまいますが、昔のことは本当によく憶えています。
だから、私が小学生だった頃の「思い出話」をたくさんします。
中学、高校、アメリカ留学の時の話もたくさんします。
担当の主治医からは「いつ容体が急変するか分かりません」と言われているので、言っておきたいことや聞いておきたいことをたくさん話しています。
今までちゃんと言えたことがなかったので、苦労をかけてアメリカに行かせてもらったことに対しても感謝の気持ちを初めて伝えました。(父はただ頷くだけでしたが…)
私は子供の頃からある意味「問題児」だったので、父は小学校の時も中学校の時もPTAの役員をやったり、学童野球のマネージャーをやったり、常に私を見守ってくれました。
(見守ってくれたというよりは「監視」されていたのでしょうけど…《汗》)
社会人になっても20代の頃は夜遊びばかりで、ろくに家にも帰らず、貯金はなく、結婚の「け」の字もありませんでした。
直接、私に言うことはありませんでしたが、母には事あるごとに「心配だ」、「あいつが一人前になるまでは死ねない」と言っていたそうです。
ようやく、32歳で結婚した時には披露宴の最後に会場がドン引きするぐらい号泣しながら挨拶をしていたことを思い出します。
15年間のサラリーマン生活を過ごしましたが、その途中でも何度か「自分で商売をやる」と言い出したことがあり、その度に心配をかけました。
「唐揚げ屋をやる!」と言った時も父は大反対だったようですが、もう家族(妻子)を持つ身だった私には何も言いませんでした。
オープン当初は特に心配だったのでしょう…。
週に何度も買いに来て、それを親戚や知り合いの家に宣伝も兼ねて配り歩いていました。
だから私は1つだけどうしても聞いておきたいことがあったのです。
ある日、目を閉じたままの父にこう聞いてみました。
「お父さん、俺のことまだ心配かい?」
すると、父は両目をゆっくり開いて、「心配ない!」とハッキリ聞き取れる大きな声で答えてくれたのです。
その一言を聞けた私の目からは涙が溢れ出ました。
「もう俺は大丈夫?安心かい?」
涙声で聞くと、父は大きく頷きました。
溢れる涙は「嬉し涙」でもあり、「安堵の涙」でもありました。
父に対して何もしてあげられてないし、大した恩返し(親孝行)も出来ていませんでしたが、父の一言と頷きで「最低限の親孝行は出来たかも…」と今は思っています。
父が車イス生活になった時は、歩いていた頃の写真を見ると切なくなりましたが、今は車イスに自力で乗っていた頃の写真を見ると切なくなります…。
この先、どうなるかは全く分かりませんが、みんなで力を合わせて父をサポートし、父の苦悩を少しでも和らげてあげられたらと思っています。
どんな姿になろうとも、十分な会話が出来なくても「ただ生きていてくれるだけでいい」
子が親を思う「子心」というものは、親が子を思う「親心」に負けないくらい強いものがあると私は思います。
「親孝行 したい時には 親はなし」
みなさんも「限りある親との時間」を大切に過ごして下さい!
ではまた!!
次回更新は11月30日(木)です!
お元気ですか?
夏休みが終わり、息子はまた元気に学校へ通い始めました。子供が長期休暇に入ると、生活リズムが一変しますので、学校が始まるとホッと一息つけるというのが本音のところです。<どのご家庭もそんな感じではないでしょうか…(笑)>
今年の夏休みは学童野球も一段落したので、親子共々「リフレッシュ」の意味で8月は野球から完全に離れてみました。
その代り、小学校最後の夏休みとなるので、可能な限り一緒に過ごしました。
那須(昆虫ワ‐ルド、那須ハイ)、ゴルフ練習、大阪(USJ、甲子園観戦)、クワガタ捕り、魚釣り、一万人プ‐ル、夏旅行…
定休日(水曜日)は自分の予定を全く入れず、平日の午前中も可能な限り時間を作って、一緒に思いっきり遊びました。
来年からは中学生となり、親と一緒に出掛けるのを嫌がり始めるでしょうし、夏休みなどは部活動でほぼ毎日練習だと思いますので、「これだけ一緒に遊べるのも今年で最後か…」と寂しく思いながら、身と財布をすり減らしながら「完全燃焼の夏休み」を過ごしました。
夏休みが終わる頃、息子は「あぁ〜早く野球がやりてぇ〜!!」と言い出したので、狙い通り、最高のリフレッシュが出来たかなと思っています。
私は、若い頃から友人達に「お前は思ったことを何でも口に出来るからいいな」、「それだけ好き放題言いたいことが言えたら楽だよな」なんてことを事あるごとに言われ続けてきました。
全否定はしませんが、私自身としては言いたい事が10あったとしたら、実際口に出すのはせいぜい半分くらいです。(私を知る人がこのブログを読んだら「おいおいっ!」とツッコミを入れるところでしょうが本当なのです)
「ここは我慢だろ」、「ここはスル‐した方がいい」、と思われる場面になればなるほど、相手が誰であろうと容赦なく噛み付くのでそう思われるのかもしれません…。
数か月前、こんなことがありました。
朝から1人で東京に出掛け、1日中歩き回って疲れたので、帰りは新幹線で帰ろうと思い、切符を購入するために「みどりの窓口」へ向かいました。中に入ると結構混んでいて、10人以上は並んでいたと思います。
かなりの待ち時間でしたが、スマホ片手に暇潰しをながら気を紛らわせ、ようやく列の最前に辿り着きました。
すると…
私の前で切符を購入した50過ぎの酔っぱらったおっちゃんが、もうすでに切符は買い終わっているのに窓口の若い女性社員に話しかけベラベラ喋っているのです。
(女性社員は笑顔の中にも困った表情を交えながら対応していました)
「イラッ」とした私は心の中で10カウントを数え始めました。
(昔読んだ「怒らない」という短気な人向けのアドバイス本の中に「すぐに怒らず心の中で10数えてみると怒りが静まることが多い」と書いてあったのです。)
「1・2・3…」
心の中でカウントし始めましたが、私の場合、カウントが進めば進むほど更に怒りが増していきました…
そして「10」と数え終わった時には怒りは頂点へ…
「おいっ!おっさん!!いつまでベラベラ喋ってんだっ!!!後ろで待ってんのが分からねェ〜のか!!!!」とMAXの怒鳴り声を上げました。
おっちゃんは目を丸くして驚き、そそくさと窓口を後にしましたが、私にも驚くことが起こったのです。
怒鳴った直後、私の後ろに並んでいた同年代の男性が、私の耳元で「おっしゃる通り!」とつぶやいたのです。
その声に振り返り、何気なくその後ろに並んでいる人たちを見渡すと私に対して皆が笑顔でお辞儀をしているのです。
窓口に行き、若い女性社員に「いい迷惑だよね!」と声を掛けると「助かりました。有難うございました」と、まさにフジテレビの「スカッとジャパン」を彷彿させるような展開になったのです。
切符を購入し、ホ‐ムに向かいながら私は思いました。
「感じることや思うことはそう大差はないんだ…」
「それを口に出すか出さないか(出せるか出せないか)だけの差なんだ…」
45年も生きていれば様々な人たちと接してきました。
その中で1つ言えることは「面と向かって言わない(言えない)人間に限って必ず陰口を叩く」ということです。
私からすると、そっちの方がよっぽどタチが悪いと思います。
私は「物分かりの良い大人ぶった人間にはなりたくない」とずっと思いながら生きてきましたから「もっと大人になれよ」なんてたまに言われると心底腹が立ちます。
それが「大人」だと言うのならそんな「大人」になんかなりたくないと、今でも微塵も変わらず思いながら生きています。
周りの目を気にして、「これを言ったら悪く思われちゃうから」とか「これを言ったらみんなに嫌われるから」などと傷つくことを恐れ、「大人」という都合の良い鎧をまとおうなどという気はサラサラありません。
人目を気にして「自分」を失うより、人目を気にせず「自分」でありたいからです。
それで嫌われたらそれでいいのです!
10人いたら10人から好かれることなど不可能です。良くて2,3人でしょう。
プロ野球選手だって打率3割なら「一流」!
それを10人全員から好かれようとするから自分を見失い疲れてしまうのです。
風が吹けばクルクルと向きを変える風見鶏のように…。
こんな風ですから誤解される事も多いし、正直疲れることも少なくありません…。
自分でも「もっとノ‐カンに生きてりゃ楽なのになぁ〜」と思うことも何度かありました。
先日もかれこれ25年の付き合いになる友人と飲んだ時に「お前は誤解されやすいんだよなぁ」としみじみ言われました。
「俺の常識はお前の非常識 俺の非常識はお前の常識」
人の数だけ考え方がありますから、皆が皆、言いたい事だけ言っていたら世の中成り立たなくなってしまうとは思いますが、「言わない」と「言えない」は大違い。
時には感情をむき出しにしてでも勇気を持って言わなくてはならない場面と言うのが生きていれば必ず訪れるものです。
「本気の言葉(本音)」というものは、すぐにではないかもしれませんが、いつの日か必ず心に響きます。
それが新たな信用や信頼関係に繋がるということもこれまた紛れもない事実なのです!
ではまた!!
お元気ですか?
「ボク 野球をやりたいっ!」
2014年4月12日。小学3年生になったばかりだった息子のこの一言から我が家の「学童野球生活」が始まりました。
過ぎてみれば、あっという間に3年という月日は流れ、先日の県大会を最後に元気いっぱいの下級生たちにバトンを渡しました。
嬉しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと…。
思い出せば、本当にいろんなことがありましたが、限りある中で息子と共に過ごせた時間はまさに「プライスレス」で、パソコンに保存された大量の写真や動画は、一緒に過ごした時間と共に「大切な宝物」となりました。
自身で掲げた「4つの目標」を達成するため、一大決心をしてジムに通い始めてから4月で3年目に突入しました。
二日酔いだろうが風邪をひいていようが、どんなに体が疲れていた時でも「週2回」のペ‐スは崩さずに通い、自分で作ったトレ‐ニングメニュ‐を毎回3時間かけてこなし続けてきました。
数ある中から19種類のマシ‐ンを選び、それぞれ「12回×2セット」をこなし、最後の40分間は自宅で飼っているハムスタ‐のポン太にも負けないくらい、汗まみれになりながら回転し続けるロ‐ラ‐の上でひたすら走り続けています。
ウエイト(重量)は最初40kgぐらいでしたが、今では70kgまでアップすることが出来ました。(最近はなかなかアップ出来ていませんが…)
1セット終わるごとにその辛さから、瞬きをすることも忘れ、しばらく一点をジィ〜ッとみつめてしまう自分がいます。(汗)
いつも不思議に思うのは、同じウエイトでも、日によって重さの感じ方が全く違うことです。
「あれ!?間違って設定しちゃったか?」と再確認するほど、とんでもなく重く感じる日があります。
そういう日は最後の1回が超絶キツいので、憎たらしい奴の顔を思い出しながら「オリャ〜〜ッ!!」と気合だけで上げきりますっ!
どちらかというと、「肉体鍛錬」というよりは「精神鍛錬」の要素の方が大きく、間違いなく今の生活を送る上で大切なバックボ‐ンの1つになっていると実感しています。
筋肉量が増えたことは間違いないのですが、プロテインもほぼ毎日摂取しながらの生活を送っていたので、今年の1月1日には、朝シャワ‐の後に必ず毎日乗る体重計の数値が「86」を表示しました。
(筋トレスタ‐ト時は78kg)
それを見て「あと4kgで90kg(おデブ)かいっ!」とさすがに焦りが生じ、プロテインをしばらく見合わせることにしました。
(プロテインには結構「脂肪分」が多く含まれているのです…)
それに加え、テレビCMで気になっていた
「サントリ‐ 伊右衛門『特茶』」をネット通販
「Amazon」で箱買いして、1日1本(500ml)を必ず毎日飲むように心掛けました。
その結果、食事の量は全く変えなくても、1ヶ月で体重が3kg落ち、3ヶ月経った頃には体重が70kg台に突入し、再びプロテインを摂取していても、今では78kg前後をウロウロしています。
(恐るべし!「特茶パワ‐」!!)
鏡の前に立って横を向くと、以前は大胸筋(胸の筋肉)とお腹の出具合は文句なしでお腹に軍配が上がっていましたが、2ヵ月前からは大逆転劇が起こっています!
何事も「継続する」ということはそう簡単なことではありません。
ましてや、辛い事、苦しいことはなおさらです…。
実際、筋トレをしながらジム内を見渡すと、通い始めの頃の顔ぶれと今とでは、少なくとも半数は入れ替わっています…。
だいたい3ヶ月、長くても1年で姿を消していく人が圧倒的に多いです。
私だって例外ではありません。
「一大決心」で始めはしましたが、ジムの日は、朝起きて「あぁ〜今日はジムかぁ〜」と思うことは少なくありませんし、ジムに行ってズラリと並んだマシ‐ンを眺めると、疲れが溜まっている時はため息が漏れることも正直あるのです…。
でも、そういうネガティブな思いを気合いで断ち切り、目の前の「1回」を積み重ねていくしか他に方法はないのです。
仕事も同じです。
1個約40gの唐揚げを粉箱の中でかき混ぜ、フライヤ‐の中で1つ1つ丁寧にほぐし、調理した唐揚げを1つ1つトングで摘んで容器に入れながら軽量し続ける毎日です。
私は昔からデ‐タをとるのが好きなので、お店のあらゆるデ‐タを時間ごと、日ごと、週ごと、月ごと、年ごとに細かく集計し、さまざまな角度から分析しています。
おかげさまで、今年で8年目に突入させていただいているわけですが、丸7年経った時にこんな思いが頭に浮かびました。
「今までどれくらいの唐揚げを調理してきたのだろう…」
パソコンを開き、あるデ‐タを元に算出してみました。
本店で仕込みされた味付け肉が入ったケ‐スは、そこそこの大きさで、
高さが10cmあります。
そこで、今まで調理したケ‐スを重ねていくと、どれくらいの高さになるのかを計算してみました。
その結果、驚きの数字が…
なっ…なんとっ! ほぼ「東京スカイツリ‐2つ分」の高さになったのです!!
数年前、東京へ遊びに行った際、真下からスカイツリ‐を見上げると、頭が重すぎるせいか、首が痛くなるくらいの高さだったことを鮮明に憶えています。
その時の風景を思い出して「あの高さ2つ分!?」と心底驚きました。
もし、味付け肉が入ったケ‐スを1つ現地に持って行って地面に置き、「7年かけてこの高さ2つ分の唐揚げを揚げろ!」と言われたら、すぐさま戦意喪失して、白旗を上げること間違いなし!
でも、そんなことは微塵も考えず、ただ目の前にある1つ1つの唐揚げを毎日コツコツと調理してきた結果が自分でも驚くほどの「成果」となったのです。
人は「結果」や「成果」を少しでも早く求め、手に入れたがります。
私もそうです。
しかし、目指す結果や成果が大きければ大きいほど、それに費やす時間や労力も相当な覚悟が必要になるほど膨大なものとなります。
この成果を知ってから、仕事では、私が唐揚げ屋を引退するまでに
「富士山(3776m)」の高さまで達することが新たな目標に加わりました。
筋トレは、50歳までは筋力アップを目指し、可能な限りウエイトアップしていきたいと思っています。
50代になったらそのウエイトを維持し続け、次の60代を乗り切れる気力と体力を養いたいと思っています。
まだ、どちらの目標も「3合目」辺りまでしか到達出来ていませんが、今まで通り、これからも目の前の「1つ(1回)」をコツコツと積み重ねていきたいと思っています。
そして、いつの日か、事を成し、頂上に辿り着くことが出来た時に感じる「心の景色」がどんなものになるのか、想像するだけで今から楽しみで仕方がないのですっ!
ではまた!!
お元気ですか?
私の住む栃木県は今のところ「空梅雨状態」。雨マ‐クがズラッと並んだ週間天気予報を見て「いよいよ梅雨本番か!」と覚悟を決めても、当日になると晴れマ‐クに変わることもしばしば…。今の時期が天気予報って一番難しく、特に「週間天気予報」に関しては当たる確率が50%以下だそうです…。
このまま梅雨明けしてもらえれば、個人的にも商売的にも嬉しいですが、降る時にはしっかり降らないと、農作物をはじめ、いろんなところで支障をきたしますので、しばらくは「てるてる坊主」を逆さに吊るした方が良いのかもしれませんね!
私は結構というか、かなり動画サイト「YouTube」を観るのが好きです。
趣味のゴルフやバス釣りの動画はもちろん、さまざまなジャンルの動画を何千と観てきました。
先日、いつものように動画を楽しんでいると、ズラッと並んだ「おすすめ動画」の中に「人生で最も後悔していること」というタイトルの動画が目に入りました。
軽い気持ちで何気なくクリックして観てみると、その内容に深い感銘を受けたのです。
最初に、動画をアップした方の思いが流れるのですが、その思いが「私の思い」と重なりました。
そして、その後「人が人生を終える時に後悔する20の項目」がどこか切ないメロディ‐に合わせて紹介されます。
20の項目全てに共感することはないかもしれません…。
私自身も「全て」ではありませんでした。
でも、多くの項目で「なるほどなぁ〜」、「そうだろうなぁ〜」と心に響きました。
動画は約15分。ちょっと長めではありますが、皆さんにぜひ一度だけでもご覧になっていただきたいので今回のブログで取り上げさせていただきます。
15分の動画に加え、いつものように「超ロングなブログ」を書いてしまうと収拾がつかなくなってしまいますので、今月のブログは「この動画」に思いを込めてスッキリと終わりにしたいと思います。
最近、何度も観て、心に刻み込んでいる動画がこれです。
「人生で後悔していること… 7割の老人が同じ回答結果に! 人生で後悔しないためには」(クリック)
1つでも共感出来るものがあり、それがあなたの「人生(生活)の指針」となって、前向きで心豊かな生活が送れるきっかけになれば本当に嬉しく思います!
ではまた!!